「震災後、初の個展を終えて…」

今回の個展は、節電対策で照明や冷房が制限される時間帯もあり、かつてない状況下でのスタートとなりました。 また余震も再び多くなり、この1ヶ月間に東北で観測された震度3以上の地震は20回を超え、そのうち半数は震度4以上、後半には宮城県沖で5強、間を置かずして福島県沖で5弱、5強と続き、東北以外でも強い地震が観測されるなど気の抜けない日々でもありました。

ご来場者の中には沿岸地域で被災した方々もおりました。津波でご主人を亡くされたという方の「家を失うだけだったら良かったのだけどね…」という言葉は本当に重く胸が詰まりました。また、ようやく新居に落ちついたというご家族から後日に頂いたメールには状況や絵を飾って前向きに生きたいとあり、最低限必要なものがあるだけかもしれない住居に私の絵が飾られることを思い浮かべ責任に心が震えました。

最近では復興に向けた明るいニュースが増えたように思います。でも、ニュースにならない、メディアなどにも出ない地道な一歩を進んでいる人、また、一歩の方向さえ分からずあの時から何も変えられずにいる人、小さな沿岸部や島に住む人など、話題になりにくく注目されない場所で長く寡黙な戦いを強いられている人達はまだ大勢おり、仙台の中心部から離れるとやはり温度差を感じることがしばしばあります。

私は今回、個展のタイトルを「希望とファンタジーの窓辺」としました。 どのような時にも、わずかでも人には明日へと繋がる希望が必要だと感じたからです。
ほんの少し未来を思う想像の積み重ねは、ちょっとした雑用の段取りでさえ前へ進んで行くことに繋がっていくはずです。 しかし、この個展を通じて前に進む気持ちだけでは十分ではないことを実感しました。 喪に服す気持ちはもちろん、その人にはなれないけれど分かち合おうとする気持ち、ひと時でも同じ歩幅で歩く気持ち、そして、いつもと同じ3月の寒い東北で特別に変わった所のなかった金曜の午後に何の心の準備もないまま、朝ご飯の風景や見送った姿、日常の些細な会話、持ち物の全てが、たった1時間足らずの間にもう二度と戻らないものになってしまった喪失感や不条理に想いを致す気持ち…。そのようなことを追いかけていく想像力を持つのは容易ではありませんが、一度海の底に沈んだつもりで瓦礫の隙間に見えるであろう空を仰ぐ視点がない限り、表現は表面だけのものになり作品が人に寄り添うことなどできないと感じています。言葉や絵筆を持つ表現者として何事もなかったかのように通過することなど有り得ません。 

震災後、絵を描くことで想いをこめてきた部分もあります。 絵を発送するための梱包をしながら、失ったことの何倍何十倍もの幸せな出来事と笑顔を、どこかの家の壁でこの絵が何度も目撃することになりますように、と願いながら封を閉じました。人それぞれの想いの一片やこれからの日常の余白に作品が少しでも寄り添い共生することができたら…。どうか想いが届きますように。

この大変な時期の中、鐘崎のスタッフの皆様には滞在する度に暑さのことなど気にかけてお声掛け頂き本当に有りがたく思いました。そしてそれぞれの持ち場で震災にも負けず尽力されていることを知りました。私も自分の持ち場でできることをやるしかないと、勝手に一員になったように感じながら過ごした1ヶ月でした。

更新が遅れてしまいましたが足を運んで頂いた皆様に心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。 昨年に比べ来場者数は多くありませんでしたが、久しぶりに再会した人達と無事を確かめ合えた特別な個展でもありました。
 

これからも、虚実皮膜の間を想像の翼で飛び回り、観る人の笑顔が増えるような楽しいひと時や空間を提供できるよう創意と工夫に適量の夢と希望のエッセンスをふりかけて、自分の心が丁寧にすくい上げた情景をお届けします。そして何よりも人の気持ちに少しでも寄り添える絵画でありたいと思っています。    
 2011 9月  石川かおり
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